タイ・ラオス男一人放浪旅【14~15日目】ワット・プー遺跡公園へGO。

2024年2月2日

これは、2011年の1月から2月の30日間に及ぶタイ・ラオス放浪の旅の記録である。今回は、その旅の14~15日目のお話。

当時の年齢は29歳。もう10年近く前の話になりますが、スロウなアジアを求めて、ふらっと東南アジアを放浪していました。今回は、タイ東北部から、陸路を使って、ラオスへの国境超えをし、ラオスのパークセーへと進んでいきます。遺跡を巡ったり、観光地でもない小さな村を訪ねたり、本能の赴くままにあっちへふらり、こっちへふらり。

普通に観光地を回る旅だけでは、満足できない私がたどった一風変わった旅の記録です。あまり検索需要のない記事になるかもしれませんが、暇つぶしにでも読んでいただけたらこれ幸いです。

14日目。さよならナコン。そして、Go to ラオス。

2011年1月25日(火)14日目。

昨日は、ムエタイ観戦の帰りが、なんだかんだで夜中の1時過ぎだった。寝たのは2時くらいだったかな?

なので、睡眠時間は少なかったが、朝6時過ぎくらいには起床した。今日はナコンラーチャシーマを旅発つ予定だ。やはり、ここを出ていくのは少し寂しい。

一つの所に留まるのは、どうかと来た当初は思ったけど、それはそれで、すごいいい体験になった。いいお思い出になった。

次は電車で、まずウボン・ラージャターニを目指す。タイ鉄道、東北本線南線の最終地点だ。電車でウボンまで進み、そこからは陸路でラオスへの国境超えをしてみようと計画を立てている。

荷物をまとめホテルを出る。ホテルを出ると、すぐ近くで、ムエタイのジムでお世話になった会長のモーがいて、声をかけてくれた。偶然か?もしくは、見送りに来てくれたのか???

言葉を交わし、最後のお別れを言った。『See you next year.』また、会おう。モーめちゃいい人やった。寂しいなあ。また、絶対にこようと思った。

昨日調べたナコン駅発の電車の時間は11時だったので、まだ時間が少しあった。まずは、自転車ヂャカヤーンを返しに行き、そこからは歩いて町を動くことにした。そして、朝練でお世話になったお家にも挨拶に行こうと思った。

ナコン駅隣のタノンチラ駅が、ちょうどその家の近くあるので、そこからも電車に乗れるか確認しに行く。10時20分発の急行があったので、予定を変更してそれに乗ることにした。422B。

まだ、電車まで一時間近くあったので、朝練してた所に顔を出しに行く。近くまで行くと、そこのお兄ちゃんとオバちゃんが見えて、手を振ってくれて招いてくれた。ええ人たちやな~。

ここのオッちゃんも声をかけてくれて、いくつか話をした。それと住所を交換したりした。昔、沖縄を旅した時もそうやったけど、こういった旅先で出会った人たちと連絡先を聞きあうのもいいもんだ。これも何かの縁。

タイの民家で、お寿司のようなものを頂く。

笹の葉に包んだ寿司的なものをご馳走してもらった。ご飯が中に少し入っていて魚の身で包まれている。日本のお寿司の反対バージョンみたいな感じ。うん、これも美味かった。

そんなに話は出来んかったけど、ここにきてよかった。時間はすぐに来てしまい。ここのオバちゃんがスクーターに乗せて駅まで送ってくれた。オッちゃんも『また、来いよ~』って言ってくれた。

ほんと、ええ人たちやった。

タノンチラ駅。

タノンチラ駅で電車を待つ。さあ、新たな出発だ。

この電車は、急行でウボン・ラージャターニまで4時間。普通列車だと6時間かかるらしく、それよりもだいぶ早い。

ウボン・ラージャターニ。

列車内で弁当や水などの販売してて、助かった。また、クーラー付きでちょっと寒いくらいだったが、予定通り進み、午後2時くらいにウボン・ラージャターニに着いた。

どうしよう?時間は、まだ2時。

タクシーのオッちゃんが声をかけてくれて、『ラオスのパークセーに行きたいんだ。』と話をすると、

オッちゃんは、『3時にラオス行きのバスがあるよ。』と教えてくれた。まだ2時くらいだったので、行けるところまで行ってみようと思った。タクシーは相乗りで、前にオバちゃんが乗っていた。

ウボンラージャタニーで、タクシーに乗る。

ウボン駅からは13㎞くらいと言ってたかな。しばらく走り、バスターミナルへ到着。タクシー代150B。

パークセー行きの前まで乗せてくれた。ここウボンの町もナコンや他のタイで見かけた街並みとそんなに変わらない町の風景だった。

ウボンからパークセーへ向かう国境超えのバス。

バスターミナルの人達も親切で、片言のまともに喋れない日本人の僕にもわかりやすく教えてくれた。チケットを買って、トイレをすまし、バスを待つ。

3時30分発のパークセー行きの国境超えバスに乗った。

バスからの景色は、だんだんスロウな田舎の景色になってきて、水牛?をよく見かけた。水田もちらほらと見えた。

国境に近づくと、バスを降りて、出国の手続きをとる。よくわからなかったけど、みんなについて行って、なんとか通過できた。再度バスに乗って、パークセーを目指す。

ラオスに入国。

国境を越えたラオスの風景は、タイとは少し違っていた。

まず、道が細くなり、町とか村というか、家の比率がだいぶ減り、田舎感がだいぶ増した。似てると言えば似てるけど、なんか少し違う。今バスが走っている道はアスファルトで舗装されているけど、この道からそれる道は、赤土の道が多かった。

バスから見る、ラオスの風景。

タイでは、ほとんどがアスファルトでできたいい道だったのだ。そんな辺りからも、ラオスの方が、ゆるい感じがしました。すぐ地続きの隣の国でも、国境を超えるとこんなに違うんだなと、思った。ラオスの方が、スロウなアジアが多く残っているのかもと、少し期待が膨らむ。

パークセー手前の大きなメコン川をわたり、バスターミナルに着いた。ちょうど午後の6時くらいで、辺りは暗くなりかけていた。バスターミナルの隣に、市場があったので少し散策し、近くのホテル(200B)に荷物を置き、メシを食べに行った。

小さい鳥の丸焼きと足の焼いたやつ、小さい卵と肝の串、ご飯を頼んで食べた。お箸が出なかったので、手で食べてみた。メシは餅米らしく、べた付かず掴みやすかった。というのも、まわりのオッちゃん達はみんな手で食べていたので、同じように真似して手で食べてみた。どうやら、ラオスでは手でご飯を食べるのが普通らしい。

メシ代をタイバーツで支払う。100B。お釣りは、ラオス通貨の3000キープで返ってきた。安いんか、高いんか感覚が全然わからない。ラオス通貨のキープは、0がやたらと多かった(笑)まあ、そのうち慣れるだろう。

ラオスのゲストハウスの部屋。

ホテルに戻り、シャワーを浴び、日記を書く。PM9:00。

今日の独り言。

『残り15日間、どんな旅にしようか?

あんまり先の事を考えすぎてもいかん。動きながら、感じ、計画をその中で練っていこう。

とりあえず、チャムパーサックのワットプーを目指そう。

多くを求めすぎて、移動ばっかになっても面白くないし、ある程度絞っていこう。』

15日目。ワット・プー遺跡公園へ。

1月26日(水)15日目。

朝6時過ぎに起きて、準備をして7時くらいに出発する。

今日は、チャムパーサックのワット・プー遺跡公園を目指そうと思う。ワット・プーは、世界遺産に登録されているクメール時代の大遺跡として有名な所だ。ガイドブックを見て、何か惹かれるものがあり、ラオスにいくなら、ぜひとも行ってみたいと思っていたのだった。

ホテルを出ると、すぐ近くに飲食店があったので、ラーメンみたいなのを大盛で頼んで食べた。半透明でちょっと堅めの麺で、米粉の麺だろうか。

ラオスで食べた米の麺。

ラオス通貨が、昨日もらったお釣りの3000キープしかなかったので、タイバーツで支払った。500B支払い、お釣りが420B返ってきた。

日本から持ってきていたガイドブックの地球の歩き方『ラオス』によると、ラオスでもタイバーツやドルはそのまま使えると書いてあったが、せっかくラオスの来たのでラオス通貨に替えて、キープに慣れていきたいと思う。


こういった基本的な旅の情報を得るためにも、こういったガイドブックを1冊持っておくと、旅先で調べられるので非常に助かります。僕が旅した時は10~11年版だったけど、最新版の本のリンクを貼っておきます。

麺屋のすぐ近くに、銀行があったので、1万円を両替えして、ラオス通貨のキープ札に替えてもらった。1万円両替えしただけなのに、かなりのお札になり結構かさばった。それに、各お札の0がやたらと多く、なんか一気にお金持ちになった気分だった(笑)

そこから、歩いて町を進んでいくと、バイクタクシーのお兄ちゃんと目が合い、乗せてもらうことにした。

バイクタクシーに乗る。

バイクタクシーと言っても、後ろに乗るタイプじゃなく、DIYで改造したようなサイドカーがついていて、そこに乗せてもらったのだった。

日記によると、船乗り場に連れてもらっていて、そこからチャムパーサック行きの船に乗りたかったらしいが、朝の8時に船が出発した後で、便がなかった。さあ、どうしよう?

バイクタクシーで、チャムパーサックへ。

バイクのお兄ちゃんは、『バイクで連れて行ってあげようか?』と言ってくれている。1000Bだという。かなり、高いような気がして、だいぶ考えて考えて悩んだ末に、連れて行ってもらうことにした。(今思えば、もう少し冷静に考えて、他の方法、バスなどを探せばよかったと思うのだが。)

バイクの横に乗せてもらうタイプのタクシーはこの旅初めてで、少し新鮮であった。田舎道をバイクで走り1時間半くらいで、船乗り場に着く。

メコン川の渡し船。

写真手前のバイクが、乗せてもらっていたサイドカー付きバイクタクシー。

なぜ船着き場かというと、橋がないので船に乗ってチャムパーサック側に渡るのだ。川を渡るために、船に乗るなんて日本じゃまず考えられないけど、こちらではそれが普通のようでした。車やバイク、人などを乗せて船は出発した。

この渡し船に乗るのも、新鮮で、なんだか異国の地にきてるんだな~と感じた。船の上では、トウモロコシを食べ(日本のとは、味が違う)、ガムを子供から買ったり、ソーメンを1杯食べたりした。お金の払い方が全然わからなかったので、バイクタクシーのお兄ちゃんに助けてもらった。

渡し船の上からの景色。

川べりの景色も、すごいいい感じだった。

ワット・プー遺跡公園。

川の反対側に到着し、バイクタクシーのお兄ちゃんとワット・プー遺跡公園を目指す。チャムパーサックからの道は、舗装してあるとはいえ、かなりのゴテゴテした道だった。バイクが壊れないか少し心配だったけど、なんとか無事ワット・プー遺跡公園に到着した。

車通りとか村の感じとか、道路の感じとか、ラオスはタイよりもだいぶスロウな感じだった。

ワット・プーでチケットを買い、バイクのお兄ちゃんも一緒に入った。写真を撮りながらワット・プーを巡る。

ワット・プーの参道。

ワット・プーは山麓に築かれたヒンドゥー教の巨大な寺院である。このような石畳の参道を進んでいった。メチャ雰囲気あって、いい感じ。

ワット・プーの大仏様と神殿。

参道を進むと、石畳の階段が続き、山の上に本殿があった。横に傘を差したお大仏様が座っている。

ワット・プー山頂から見下ろす景色。

山の上から、見下ろす景色もまた、素晴らしかった。クメール時代の大遺跡とラオスの景色が非常にマッチしてて、なんかすごい良かった。

平地で、こんなに木々があちこちに見えているのって、ラオスではまだ人の手がそこまで入っていなくて、自然が多く残っているんだろうな~と思った。

ワット・プーの神殿にお参りする。

本殿のお大仏様に、線香の花を上げて、しばらく山の上で休憩する。

ふぅ~。

ワットプーを満喫した後は、近くで今日泊まるゲストハウスを探しに、バイクタクシーのお兄ちゃんに連れて行ってもらった。

ここら辺から、少し雲行きがおかしくなり始める。ゲストハウスに着くと、バイクのお兄ちゃんは、ビールを一緒に飲もうと誘われて、一緒に飲むことになった。(ろん氏はお酒、あまり飲めない方なのだが、付き合い程度に飲むつもりだった)

ゲストハウスの奥の川べりのベンチで、ゆったりとした川の流れを見ながら、ビールを飲んだ。

お酒をバイクのお兄ちゃんと飲んでいると、どこからか女の子2人がやってきて、一緒に飲むことになった。お兄ちゃんの友達なのか、知っているようだった。僕には、何も聞かされていなかったので、少しびっくりしたが、一緒にお酒を飲んだり、ご飯を食べたりした。

その時に、魚の揚げたものや魚のお刺身が乗ったサラダ的なものを食べた。

ホントは、ゆっくり外を散策したかったんだけど、今日はバイクのお兄ちゃんのペースに完全に巻き込まれてしまった。お酒に弱いろん氏は、けっこう酔っぱらって頭痛くなって、早々と部屋に戻り寝てしまったのであった。

お酒を飲んでいる途中にバイクのお兄ちゃんは、『また明日もバイクでどこかに連れていってあげるので、一緒に行こう』と、しつこく粘ってきたが、なんか自分のペースを乱されて、主導権握られてる感があって、嫌だった。。。

で、なんか違うな~と感じて断った。あんまり、人任せというか、流れ過ぎってのも良くないなと思った。自分のしたい事をやりたいようにやっていきたいし。自分で考えて進まんと、何も覚えんし、他人任せはいかん。少し反省して、テンション下がる。

しかも、この日の夜は、旅に来て初めて本格的に腹を下した。夜寝ている間に、5~6回はトイレに走った><完全に、ゲリピーである。

念のために、日本から持ってきておいた正露丸を飲んでみたが、それでも一向に下痢は治まらなかった。どうやらラオスの下痢に、日本の正露丸はまったく効かないらしい><

明日からしばらくろん氏は、下痢をしながらの旅となったのであった。。。。さすらいのお勉強野郎のタイ・ラオス男一人放浪旅は、まだまだ続く。

続きは、こちら⇒『タイ・ラオス男一人放浪旅【16~17日目】タート・ニュアン、タート・ファーンの滝へ。