沖縄本島1周ヒッチハイクの⑮番外編~旅の終わりwithヨシリン④~

2024年1月31日

この旅の記録は、2003年7月もう19年前の話である。沖縄本島1周ヒッチハイクの旅を無事終えたろん氏は、1周旅のゴールである那覇港新港でヨシリンと合流した。ここから4日間は、この二人で沖縄の旅を進めていく事になる。

ここからは、一人で沖縄本島1周ヒッチハイクの旅で決めた基本的なルールの、徒歩orヒッチハイクのみ、公共の期間は使わないなどの縛りはなしにして、二人のフィーリングで旅を進めることにする。

まあ、この二人突拍子もないことを言い出す同士なので、どんな旅になるのやら~?

若かりし頃の馬鹿野郎どもによる冒険旅、最後の一日が始まる。

今回は、『沖縄本島1周ヒッチハイクの旅~番外編withヨシリン』4日目の記録。

当時の旅日記をもとに、まとめてみました。事実は小説よりも奇なり。暇つぶしにでも、読んでいただけたら幸いです。

2003年7月28日~スコール&バスを選ぶ

名護市のビーチで、テント野宿。

今日は沖縄の旅、最後の一日だ。

5時20分に起床、朝の用を足しにトイレへ行く。テントに帰ろうとすると、雨がパラパラと降り始め、怪しい雨雲が現れだしてきた。

俺は猛ダッシュでテントへ戻り、『雨降りそうやから、早くテントを片付けよう!!』と、ヨシリンを起こしたのだった。

ヨシリンは少し寝ぼけまなこで、この状況をあまりわかっていなく、のそのそと片付けていた。俺は内心『早く片付けろよ~』と思いながらも、荷物をテントから出して、ササっとテントをたたんだ。テントを片付けて、歩き始めると一気にザザーっと降り始め、近くで雨宿りをする事にした。

スコールといったような激しい雨だった。ギリギリセーフ、助かった。『早起きは、3文の得』朝、早く起きて良かった~。

雨宿り中。

ヨシリンは『最大の危機逃れたな~』と一言。俺が教えてなかったら、ずぶ濡れやぞ~(笑)

そして、雨宿りしてる間に、日記を書いた。

日記を書いている間に、雨は止み、公園のトイレで歯磨きやコンタクトなど身支度をし出発した。今日は、那覇までバスで、戻る予定だったが、ここでヨシリンと意見が分かれた。俺は、普通のバスをチョイスし、ヨシリンは、高速バスをチョイスした。

そんなら、実際にバスの時間と値段を確認して、それからどっちにするか決めよう、となった。琉球バスと沖縄バスに、それぞれが電話して聞き確認した所、高速バスと普通は300円くらいしか変わらないらしかった。

それにちょうど、次の高速バスがもうすぐ来そうだったので、高速バスでいく事に決めた。

沖縄の高速バス。

そんなこんなで、高速バスに乗り込み、1番後ろの席に座り那覇まで向かった。途中のバス停で、旅で通った所のすぐそばを通ったりして懐かしかった。

国際通りへ、GO!!

那覇のバスターミナルに着くと、とりあえず、近くの郵便局へ向かいお金を3万円ほど下ろし、国際通りでお土産を買うことにした。

途中で道がわからなくなってきたので、バス停にいた高校生2人に道を聞いた。

ヨシリン、なぜ君が顔を隠してん!!

国際通りまでの道を教えてもらった後、僕たちは記念にと、一緒に写真を撮らしてもらった。あの頃の僕たちは、やたらと旅先で出会った人たちと一緒に写真を撮ったものだ。

余談だが、ヨシリンよりも自分の方が年上に見えるそうだ。昨日の花火の人たちにも、年齢よりもずいぶん上に見られたし、俺って老けて見えるんだな~と、少しショックだった(苦笑)

そんなこんなで、無事国際通りにたどり着き、お土産に『クソガキTシャツ』『残波(酒)』『シーサー』『バイクの置物』『足輪』などを買った。昼飯は、ジューシー定食というのを食べた。ジューシー定食には、炊き込みご飯の定食といった感じだった。

その後、国際通りでサトウキビを買って、齧りながら進んだ。

1日目に出会ったオバちゃんとハンバーガー屋へ!!

最後にローソンの所まで進み、そこでひと休憩。休んでいる間に、沖縄に来て一日目に、車に乗せてもらったオバちゃんに『あの時は、お世話になりました。無事に、沖縄1周できました』と連絡をすると、なんと、今から会いに来てくれることになった。

最後の最後に、急展開。

このオバちゃんは、沖縄上陸して一日目ヒッチハイクの合図もしていないのに、奇跡的に車に乗せてくれたあの方だ。

詳しくは、沖縄の旅一日目の記事に載っている⇒『沖縄本島1周ヒッチハイクの旅①~那覇市→読谷村、ひたすら歩く~

木登りするろん氏。

オバちゃんと合流するまで、近くの公園で、木登りしたりしながら待った。

しばらく待っていると、オバちゃんはサングラスをかけて颯爽と現れた。ヨシリンと僕は、車に乗せてもらい、旅の事などをお話しした。

JEFというハンバーガー屋さんに連れて行ってもらい、ゴーヤバーガーのセットとあんみつの氷を奢って頂いた。

ゴーヤーバーガーを奢ってもらう。

ほんとなんていい人なんだろうか。このオバちゃんは、沖縄の旅で一番最初にお世話になり、一番最後にもお世話になった人となった。

ヨシリンは、帰りの飛行機の時間が迫っているようで、食べ終わるとすぐに出発した。オバちゃんの車で、それぞれ送っていただいた。そして、僕は那覇新港でお別れした。

別れ際にオバちゃんから、色々食べ物も頂いてしまった。

オバちゃん、色々と良くして頂きありがとう。

ヨシリン、沖縄まで来てくれてありがとう。

馬鹿野郎の冒険・沖縄編、完!!

そして、フェリーを待ち、時間がきて、フェリーに乗り込んだ。

フェリーから見る沖縄本島。

まずは、速攻でシャワーを浴び、それからフェリーの外でしばらく沖縄から離れていくまで、ず~っと島の方を見ていた。

沖縄、ありがとう!!

沖縄で出会った人達、ありがとう!!

俺、強くなるよ!!

本物になるよ!!

親を大切にするよ!!

人に親切にするよ!!

子供のころに持っていた心を忘れないよ!!

自分の信念をしっかり持つよ!!

と、思ったのであった。色々な思い出があり、沖縄から離れるのは正直、寂しかった。けれど、これからも色々な出会いがあり、冒険があるんだと思えば、これでいいんだ。

フェリーからの見える海と空

これからもこの沖縄の旅の経験を忘れずに、人として、強く、優しく、生きたいと思った。

本当に大切なもの、心を大切にしたいと思った。

沖縄の旅15日目(ヨシリンと4日目)まとめ

沖縄旅の移動記録⑮

本日の移動・・・名護市⇒那覇市⇒那覇新港⇒フェリー

本日の移動手段・・・1、高速バス。2、一日目に出会ったオバちゃんの車。3、徒歩。

沖縄の旅15日目、ヨシリンとの旅4日目この日は、旅の最終日となる。

名護市のビーチで、テント野宿した2人は、早朝に起きると同時にスコールに見舞われ、急いでテントを片付けて雨宿りした。今日は、最終日だったので、那覇市へ戻り、ヨシリンは飛行機で、僕はフェリーでそれぞれ帰る予定だ。

高速バスに乗り込み、那覇市へと向かった。

那覇市では、国際通りへ行って、帰りのお土産などを買うが、まだ少し帰りの便まで時間があったので、公園で休んだ。その時間を使って、一日目にお世話になったオバちゃんにお礼の連絡をすると、今から会いに来てくれるそうで、ハンバーガーを奢っていただいた。

そんなこんなでオバちゃんに、2人をそれぞれ送っていただき、お別れした。

ホントこの旅では、沖縄の人の優しさに助けられた。沖縄の心『いちゃりばちょ~で~』が、身に沁みたのだった。

そして、フェリーに乗り込み、沖縄の旅は終わりを迎えた。

旅の総まとめ~当時の日記より~

フェリーでは、最後に旅で感じた思いをまとめたのだった。

いちゃりばちょ~で~

この沖縄の旅では、本当に自由に旅ができたと思う。子供のころ、小学生の頃に持っていた気持ちを思い出した。公園では子供達と当て鬼をして幼少のころに戻ったように、人目もはばからず一緒に遊んだ。本当に楽しかった。

子供から大人まで関係なく、友達がたくさんできた。本当に財産だと思うし大切にしたい。

『いちゃりばちょ~で~』(出会ったら、兄弟)。その通りだと思った。

そして、これからも出会う人、今までに出会ってきた人、お世話になった人に親切にし、優しくしたいと思った。本当に大切なもの、それは本来誰しもが持っているものだと思った。

忘れかけていたものを取り戻せてよかったと思う。これからもこの気持ちを持ち続けていきたいと思った。

そして、本物になりたいと思う。

自分をしっかりと持ち、好きな自分に、

カッコイイ自分に、なりたい自分になりたいと思った。

やりたいことは、やるしかない!!

この旅と同じで、人生も行ってみなけりゃ分からない。

この旅を通して、感じた事、わかった事は、まず第一に自分の信念をしっかり持ち、自分の気持ちに嘘をつくことなく、妥協することなく、ただひたすら前へ進むこと。そうする事で、道は開ける。

そうすれば、自然とミラクルは起こる。それは、最初の内は偶然の中の奇跡やと思っていたが、それは偶然で起こるのではなく、『起こるべくして、起こっている』そんな気がしてしょうがなかった。

そして、少しでも選択が違っていれば、それから出会う人も全く変わってくる。そこで会う人、会う人、『何かの縁』そう思うしかない。

初めて会うにも関わらず、皆とても親切にしてくれた。毎日が、新鮮であり、冒険であって、楽しかった。

そして、『やってみなけりゃ分からない。』ってことも分かったし、やりたいことなら、その時やるっきゃない。

行きたいなら、行く。

遊びたいなら、遊ぶ。

話したいなら、話す。

ボーっとしたいなら、ボーっとする。

疲れたら、休む。

眠たくなったら、寝る。

それでいいんだなと思った。

なんくるないさ~

何とかなるさ。現に旅に出て、色んな人に助けられ、何とかなった。

やる前は、不安で一杯やったが、恐いのは最初だけだった。

そこには、素晴らしいものがいっぱい待っていた。

『何もない所からは、何も生まれない』

『さあ、やるしかないんだ』

『後は、野となれ山となれ』

人生で大切な物は金じゃない。友達。

人を大切にしようと思う。

親を大事にしよう。

家族を大事にしよう。

友達を大切にしよう。

出会う人、出会う人を大切にしよう。

そんな風に思った。

この旅で、少し何かが変われそうだ。

そうそれは、子供のころに持っていた気持ちだ。

大切にしよう。

ためらった時は、フェリーからの景色を思い出そう。

ちっぽけな自分の行動で、何をためらってるんやと思うはずさ。

沖縄よ、ありがとう

毎日毎日、たくさんの出合いがあり、別れがあった。別れは、いつも寂しかった。悲しかった。けれど、自分の旅のためにも行かなきゃならない。

でも、ここでの思い、ここでの出合いは、胸にシッカリと刻み込み、忘れないでおこう。そんな風に思った。

旅の途中、辛かったし、足も痛くて、正直毎日かなりしんどかったけど、旅や人生、そりゃあ辛いさ。イチローやって辛いんやもん。けど、自分のやりたいことを信念曲げずに、精一杯好きな事をやっている。楽しくってしょうがないさ。

いつの間にか、悩みなんて忘れていたよ。

毎日必死で。たくさんの人に親切にしてもらい、こんなに親切にしてもらっていいものかと、悪い気がしたりもした。

車に乗せて頂いたり、家に泊めて頂いたり、食べ物を分けて頂いたり、、、

だけど、全て、色んな人に出会えて、本当に良かったと思う。沖縄よ、ありがとう。

沖縄旅の記録

最後に、旅の記録をまとめてみました。

車に乗せてもらう事32回

ヒッチハイク・・・・26回

ヒッチの合図なし・・・2回(歩いていたら、『乗せてあげるよ』と、逆に声をかけてもらった)

旅先で、知り合った人のご好意・・・4回

14泊のうち

テント野宿・・・9泊(砂浜7泊、公園2泊)

知り合った人のご好意・・・・・5泊(空き家2泊、ファミリー1泊、ベランダ1泊、宿1泊)

1日の歩いた平均距離・・・20㎞くらい

1日に歩いた最大距離・・・40㎞くらい

食べ物を分けてもらう事・・・数、知れず。

人に親切にしてもらう事・・・数、知れず。

出会った人の連絡先・・・24件

旅の写真・・・500枚近く

今回の旅の日程・・・2003年7月11日~7月30日(往復のフェリー含む)

沖縄本島1周ヒッチハイク一人旅・・・2003年7月11日~7月25日

ヨシリンと沖縄旅・・・・・2003年7月25日~28日

沖縄の旅の記録これにて、完結なり。長い旅の日記を最後まで、ご覧いただき誠にありがとうございました!!

馬鹿野郎の冒険旅シリーズは、タイ・ラオス編へと続く。⇒『タイ・ラオス男一人放浪旅【1~3日目】バンコク⇒ナコンラーチャシーマ。