沖縄本島1周ヒッチハイクの旅【序章】2泊3日かけてフェリーで沖縄へ!!

2024年1月31日

今から19年前の2003年、信州大学2年の時の夏を迎えた頃の話である。当時の歳は、21歳。一人で、沖縄本島を1周、徒歩とヒッチハイクのみで、宿泊施設を使わず基本テント泊しながら旅をした時の、若かりし頃の馬鹿野郎の冒険旅の記録なり。

もう19年も前の話だが、当時の日記をもとに、振り返ってみたいと思う。

今回はそんな旅の序章。2泊3日かけてフェリーで沖縄へ向かっている時の話となっております。

暇つぶしにでも読んで頂けたら幸いです。

2003年7月11日~旅立ち夜行列車に乗る~

当時、夢中になっていた総合格闘技の空手道場の仲間に見送られて、長野駅から夜行列車に乗り込み、沖縄行きのフェリーが出る名古屋港へと向かった。

急遽、旅に行くことを決めてしまった僕は、道場の引継ぎやその仲間達で出ることになっていた【びんずる祭り】の係などを誰かにお願いして、出発したのであった。こんな身勝手な僕だが、皆嫌な顔せずに、優しく見送りだしてくれた(涙)

みんないい人なんだ。俺も人に優しくしたいなと強く思った。

7月12日~フェリー1日目~

夜行列車のちくまは、時々利用していた特急しなのと同じ車両で、とても寝にくかった。というか、ほとんど眠れなかった。

その間に、旅のコンセプトを考えたり、高橋歩氏のサンクチュアリを読んだりしながら、時間を過ごした。

そして決めた旅のコンセプトは、『やりたい、カッコイイと思った事は、全部やる』だった。

実は、この旅はもともと、大学の夏休みを利用して地元の同級生3人で沖縄を旅しようというものだった。所が僕は、何を思ったのか!?夏休みを待たずして、一人で沖縄の旅へと先走ってしまったのである。

恐らく、当時ガツンと衝撃を受けていた高橋歩氏の本の影響で、熱い気持ちになって、いてもたってもいられなくなり、動き出しちゃったんだと思われる。

夜行列車が名古屋駅に着いたのが朝の5時だった。地下鉄に乗り換え、名古屋港へと向かう。名古屋港駅で地下鉄を降り、フェリー乗り場を探すが、見つからない。遊覧船乗り場しか見当たらず、どうも違うっぽい。

近くのコンビニで、店員さんに聞くも、よくわかってない感じで、諦めて自分で探すことにした。

そして、近くを歩いていたオジサン(一見怖そうな人だったが)、聞いちゃえ~と、道を尋ねると親切に教えてくれた。丁寧にバス乗り場まで一緒に来てくれて、どのバスに乗ればいいかまで教えてくれた。

そのオジサンと話をしていると、『俺も若い内は何も計画も立てずに、ばあ~っと旅に出たもんさ』と言っていた(笑)

とにかくすごい親切でいい人だった。

無事バスに乗り、フェリー乗り場に到着する。

大好きなハイスタを聞きながら、フェリーが到着するのを待つ。当時は、使っていたのはMDウォークマンだ(笑)今の若い人には、馴染みがないかもしれないが、、、。

フェリーが到着すると、1番乗りで船に乗り込み、とりあえずグルリと1周散策してみた。僕が泊まった部屋は、163で6人部屋だった。まず、ここで最初の失敗をした。

一緒の部屋の人と挨拶を交わさなかった事。。。

挨拶をしっかりする(旅の基本なり)

せっかく船に乗ったのに、部屋にこもっているのは嫌だったので、窓側の席で本を読んだり、音楽を聴いたりしていた。思ったより船の乗客は少なく、いやかなり少なかった。恐らく20人くらいだろう。

昼飯は食堂に行き、コロッケ定食を食べた。

午後は、外に出て地平線や大陸、周りの船なんかを見て、持参した小さなスピーカーで音楽を流したりしてボーっとしていた。

『あ~海は、でけ~な。陸は、でけ~な。そして、俺は、ちいせ~な。人はちいせ~な~と。こんな小さな人間が、そんなちょっとの行動やそんな小っちゃな事柄で、悩んでいるのはバカみたい』なんて思った。

あと、不思議に思ったのが、カモメみたいな鳥が船の後ろで、羽を広げているだけで、船と同じスピードでついてくる。何でやろ~???
外の景色にも少し飽き、天気も曇ってきたので、部屋に戻り仮眠をとった。

目を覚ますと、もう夕方の6時過ぎで、食堂の時間だった。同じ部屋の人たちが『飯を食いにいこ~』と、3人の声が聞こえる。俺はその輪にも全然入れなくて、後から食堂に向かった。

食堂では、同じ部屋の人たちのテーブルへ『ここいいですか?』と声をかけ、座った。

僕は中々話の輪に入れずに、食事は進んでいく。ちょっと一人で食ってた方が良かったかも~と、後悔しかけていると、隣のオジサンが『どこまでいくの?』と話しかけてくれた。

そこからは、少し話をやりとりし、情報交換をした。一人のオジさんからは、『若かった頃は、世界をヒッチハイクで、回っていたんだ』とか、面白い話も聞けた。

何もない所からは何も生まれない。一緒に飯食って、良かったのかな~と思った。

7月13日~フェリー2日目~

昨日の夜は、早くに布団に入ったものの中々眠れなかった。結局寝たのは、11時過ぎくらいだったと思う。

朝6時頃に目が覚め、朝日でも見ようかなと外に出るが、雲が多く朝日を見ることはできなかった。

『せっかく朝早く起きたのに、このまま寝るのももったいないかな~』と思いつつも、『考えてみたら、何もやることもないな~』とか、思っていたらいつの間にか寝ていた。

8時頃に朝食の放送で再度起きて、食堂へ向かう。

一人でご飯を食べていると、同じ部屋のオジちゃんが『ここいいですか?』と声をかけてくれ、一緒に食べた。『フネ暇ですね~』とか何気ない話をしながら、朝のトースト定食を食べた。

メシも食い終わり、何をしようかなと考えるも、船の上では特にすることもないのだ。

ふと人生について考えてみることにした。窓際にいき、持参していたMDをウォークマンでハイスタ(Hi-standard)を聴きながら物思いにふける。ハイスタの歌詞の和訳をノートに書き込むと、少し自分の進む道が見えてきた気がした。

この日心に響いたのが、MaximamOverdriveとGrowingUpとTheSoundOfSecretMindだ。ハイスタ最高!!

【俺の中の隠した音を聴け 俺はいったい何を待っているんだ】

歌詞の和訳を書き終え、外に出て、ハイスタを聴きながら寝っ転がる。高橋歩のサンクチュアリを片手に、太陽の光が俺を差し、もう気分は最高である。何も考えることもなく、ああ気持ちいいなあと、気分は『MY HEART FEEL SO FREE』。


(13曲目が、TheSoundOfSecretMindだ)

昼ご飯は、同じ部屋のメガネで坊主のオジちゃんと食べた。ここで、旅の事や夢の事、大学の事などを色々と深く話した。

このおじちゃん曰く、『大学は技術を身につけるというよりかは、会社や企業に入るためのもので、大学の3~4年じゃ使えるようにはならないよと。就職して、一生使うようになり専門的に覚えていく、そんな感じなんだ。』といっていたのが印象に残っている。

このおじさんからは、同じ船に乗っていた乗客で、空手をやっているオーストラリア人を紹介してもらった。空手つながりという事で、オーストラリア人と色々と話を交わした。

そんなこんなで気が付けば時刻は、午後4時くらいになっていた。

その後は、漫画を読んだり、沖縄ガイドを見たりしながら時間を過ごし、晩御飯は同じ部屋のオジちゃん2人と自分の3人で食べた。旅の事などを話した。

その後は、ボーっとしたり、考え事したりゆったりと時間を過ごす。夜食に売店で買っておいた沖縄そばを食べながら、日記を書く。

7月14日~フェリー3日目沖縄到着~

朝6時前に起床。日の出を見えるかなと外に出るが、今日も雲がかかって日の出を拝むことはできなかった。

船を降りる準備をし、『よ~し、ついに沖縄上陸だ!!』

船を降りると、近くに居合わせた同じ部屋のオジサン1人と出口の方へと進む。僕は、仲良くなった人たちと写真を撮りたかったなあと少し悔やむ。

とりあえず、このおじちゃんと『写真を撮りませんか?』と声をかける。

『他の人たちは、もう行っちゃったんですかね~?』なんて言っていると、ちょうど後から、他の人たちも来たのだった。

左から3人相部屋のオジサンたち、空手家のオーストラリア人、一番右若き頃のろん氏

皆で、写真を撮った。

一人のオジサンとはアドレスを聞いた。後で写真を送ろうと思った。

さあ、ここからが沖縄の旅の出発だ。

いったい何が、待ち受けているのやら?

移動は公共機関を一切使わずに、歩きとヒッチハイクのみでの移動。宿泊施設は使わずに、テント泊を基本とする。あと決めているのは、沖縄本島の海岸線を時計回りに1周するということだけ。日数も特に何も決めていない。

不安と期待が入り混じったワクワクドキドキの冒険旅。だけどまあ、なんとかなるやろ~。

馬鹿野郎の冒険、沖縄本島ヒッチハイクの旅の始まり始まり。つづく

続きは、こちら⇒『沖縄本島1周ヒッチハイクの旅①~那覇市→読谷村、ひたすら歩く~