タイ・ラオス男一人放浪旅【18~19日目】パークセーから、ルアンパバーンへ。
これは、2011年の1月から2月の30日間に及ぶタイ・ラオス放浪の旅の記録である。今回は、その旅の18~19日目のお話。
当時の年齢は29歳。もう10年近く前の話になりますが、スロウなアジアを求めて、ふらっと東南アジアを放浪していました。今回は、ラオス南部のパークセーから飛行機で、北部の世界遺産であるルアンパバーンへと移動したのであった。
普通に観光地を回る旅だけでは、満足できない私がたどった一風変わった旅の記録です。あまり検索需要のない記事になるかもしれませんが、暇つぶしにでも読んでいただけたらこれ幸いです。
18日目。飛行機で、パークセーからルアンパバーンへ。
2011年1月29日(土)。18日目。
朝早く起きて朝日を拝もうかと思っていたが、よく考えたらパークセーでメコン川から見れるのは夕日だ。今日はゆっくり寝ることにした。
7時半くらいに、起床。相変わらず下痢は、続いていた。
だけど、とりあえずメシは食べようと思い、昨日晩御飯を食べた食堂へ向かうが、すぐ隣にラオス風のヌードル屋があったので、そっちで食べることにした。
ラオスヌードルとラオスのお茶を頼んだ。ヌードルはスパイスを入れずに、お腹に優しめに食べた。お茶のお代わりもして、ゆっくりと過ごした。値段も安め。15000K(約150円)。
下痢の薬を求めて。
朝ごはんを食べた後、荷物をまとめ、ゲストハウスから出発する。少し歩いたところで、一昨日トゥクトゥクでタート・ニュアンの滝に連れて行ってくれたオッちゃんに声をかけられた。
僕はオッちゃんに、『下痢をしてるから、薬が欲しい。』と、
指さし会話帳を片手に、ジェスチャーを交えながら必死に伝えた。オッちゃんは、理解してくれたようで、トゥクトゥクで薬局まで、連れて行ってくれた(涙)。マジ、感謝。
薬局で、『下痢になったんだ。』と切実に説明し、なんとか薬を購入する事ができた。12000K(約120円)と値段は、思ったより安かった。3種類の錠剤と粉薬をもらった。種類多いし、大丈夫かなと少し心配だったが、これに頼るしかない。
ミネラルウォーターで、必要分の錠剤を飲み込んだ。粉薬は、どうも水に溶かして飲むらしく、これはトゥクトゥクのオッちゃんが飲み方を教えてくれた。その上オッちゃんは、ゲストハウスの前辺りまで乗せてくれてた。10000K約100円。
前回、滝へ乗せてくれた時もそうやったけど、良心的な値段やし、メチャ親切な感じのいいオッちゃんだった。タイでもそうだったけど、トゥクトゥクのオッちゃんには随分と助けられました。
降ろしてもらって、少し歩くと今度はワット・プーに連れて行ってくれたお兄ちゃんにも会って、少し話をした。今になって思うと、あのバイクタクシーの旅も一風変わった面白い旅の思い出だ(笑)
パークセーの町を散策。
この日は、飛行機でルアンパバーンに飛ぶ予定だったが、空港のチェックインが14時30分からだったので、それまで町を散策することにした。銀行に行って、両替えしに行ったり、インターネットカフェに寄ったりした。
地図によると、近くに市場があるようなので、そこを目指す。
道中、駄菓子屋さんに売っていたビワ風のフルーツを買った。3000K(30円)。こういった、市民がいくような所のお店は、やはり安いようだった。
近くの公園で、座り込んで食べた。マンゴー的な味がした。美味し。
少し休憩して、市場を目指す。市場は、16日目に寄った市場より小さめだったが、自分的にはこっちの方が好みだった。市場を散策し、揚げパンやお菓子風のパンを買った。いくらか忘れたが、だいぶ安かったと思う。あと、ペプシコーラを1本買って、パンを座って食べた。
こういった市場は、地元の市民が使う所で、なんか落ち着く。子供達も遊んでいて、いい感じだった。隣には、デパート風の建物があり、入ってみた。
タイで入った日本と変わらないような綺麗なデパートではなく、ここは昭和の臭いがするようなデパートだった。こういった所が、やっぱり面白い。
ここでは、リーバイスの財布を2つ買った。75000K約750円×2⇒恐らく偽物なんだろうなと思ったけど、結構かっこよかったので買ってみた。後、上着を2着購入。1着120000K、1200円くらい。また、違う店で替えのパンツを1つ買った。
僕はなぜか、観光客向けの所より、地元民が普通に使うお店の方が落ち着くし、見ていてもワクワクするんだった。
飛行機で、ルアンパバーンへ。
そうこうしていると、もうすぐ2時近くになってきた。あと30分で、空港のチェックインの時間だ。
最後に前の市場で、ヤシの実ジュースを買って飲んだ。トゥクトゥクを拾って、飛行場へと向かう。運転手は、薬局へ連れて行ってくれたあのオッちゃんだった。
最初は、50000Kといったが、『まけて』とジェスチャーすると、すぐに30000Kにまけてくれた。たぶんホントはこれでも高いくらいなんやろうけど、全然オッケー。サンキュー。
飛行場に到着すると、荷物を預けて、搭乗を待つ。
どうやら、飛行機に乗るのはワレワレ外国人ばっかりで、ほとんどが欧米人だった。日本人のオッちゃんも2~3人いた。待っている間に、ラオス地図を発見し、購入した。マップ2つ目(笑)
地図があれば、どこでも行ける。そんな感じ、何とかなる。ちょっと楽しくなってきた。
たった3~4日しかいなかったパークセー周辺だが、いざ離れるとなると、なんか寂しい感じがして不思議だった。最初は、右も左もわからず、すごい不安なんだけど、ちょっと慣れてくるといい所もだんだんわかってくる。
そういえば、薬が効いてきたらしく、気づくと下痢は止まっていた。現地の薬の効果は、抜群だった。一発で、治った。ふぅ~。
飛行機は、4時20分発だったけど、30分前くらいには出発した(笑)
パークセーから離陸すると、空から見下ろす景色にとても感動した。何とそこには、僕が求めていたような景色が広がっていたのだ。
『あ~、なんだ。こんな近くにあったのか~。灯台下暗し。』
ちょっと、後悔した。
そこには、赤土の道が広がり、田畑があり、グネグネに曲がりくねった川があり、小さな村があり、思ってた以上にラオスはスロウな国なのかもしれないと感じた。
僕はその時、『あそこをチャリンコで旅出来たら楽しいんちゃうかな~』と、直感した。
けど、もう飛行機に乗ってしまったしな~。向こうで探すかな~、そういった所をとも考えた。
空の上では、ず~っと、外の景色を眺めていた。空から見るラオスの景色は、すごい良かった。メコン川がゆったりと流れていた。
ルアンパバーンに近づくと山が多くなり、雲がかかってきた。
山岳地方だと自転車乗り回すのも難しいかもな~。なんて、そうこう考えていると、ルアンパバーンに到着した。予定時刻よりも、1時間も早くついた(笑)
空港を出ると、乗り合いでタクシーに乗って、町へと乗せてもらう。50000k。キープがなかったので、タイバーツで支払う300B。これ後々考えたら、少し高いような。なんとなくボラれた感があった。
タクシーにゲストハウスが多い辺りで降ろしてもらう。ここは、ゲストハウスだらけで、また海外旅行者だらけだった。今夜泊まるゲストハウスを探しに何軒か回ってみた。
どうやら、ここの相場は100000キープ前後。約1000円。ラオス南部のパークセーよりも若干高めだった。観光客が多いから、それに合わせて高い料金に設定されているんだろうなと思った。
宿を適当な所に決めて、近くに晩飯を食べに出歩く。米と鶏肉炒めとコーラを頂く。30000k。
ご飯を食べた後、近くを散策した。ナイトバザーをやっていたので覗きに行く。
感想は、想像以上に海外からの観光客だらけだった。まずそこに、ビツクリ。
今日は、特に何も買わず、宿に戻り明日に備えたのだった。
寝る前に食後のお薬を飲んでおいた。これらが、パークセーの薬局で買った下痢止めの薬だ。日本から、持って行った正露丸は全く効果がなかったが、この薬を飲んだら、一発で下痢が止まった。
やっぱり現地の物を食べて下した腹は、現地の薬が一番効くようだ。とりあえず、今日は下痢が治って一安心したのであった。
19日目。スロウなアジアに出会う。
1月30日(日)19日目。
朝起きて、荷物をまとめ、バックパックを背負い、宿を発つ。
来て早々だけど、この時僕は、もう一度パークセーに戻ろうと考えていたので、ツーリストオフィスにまず立ち寄った。
飛行機のスケジュールを聞くと、明日の1月31日と2月3日しか空いていないらしい。本当は、2月1日の便に乗りたかったんだけど満席だった。さあ、どうしようか?と、考えこんでいると、
お店の人が『飛行機でビエンチャンまで飛び、そこから夜行バスでパークセーへ下る』というプランを提案してくれた。その案だと、2月1日の朝には、パークセーに着くみたい。夜行バスか。。。少し迷うが、そのプランで行くことにした。
それで、今日は、ルアンパバーンの町を散策することにした。
まず朝飯に、カオピヤックと呼ばれるお粥を食べた。うまかった。
ラオス語で、美味しいは『セーブ』だ。少しずつラオス語も覚えてきた。
プーシーの丘。
次は、高さ150mの小高い丘の上にあるお寺に上ってみることにした。階段を上っていく途中、子供達が小物を売りに寄ってきて、少しやり取りをする。2つの数珠を買った。10000Kと5000K、日本円にして、100円50円。子供たちとやり取りするのは、面白いし、楽しかった。
山の上では、花を一つ買い、入場料払って中へと進む。
お参りをし、景色を眺めボーっとする。プーシーの丘は、ルアンパバーンの町を一望できるとても景色のいい所だった。
ちなみにルアンパバーンは、美しい街並みや歴史的な文化遺産(お寺など)が多く残り、世界遺産の一つに登録されている。
あっちが、空港で、そっちにメコン川があって、ナムカーン川があってと、町の位置関係を把握する。そんな中、僕はとりわけメコン川の向こうに見える小さな村が、なぜか気になったのだった。
あっち側の村へ行ってみたい。そう思ったのだった。
ルアンパバーンの町を散策。
山を下り少し町を散策する。朝市を見つけて、入ってみるといい感じだった。こういう地元の人が使うような所はやはりいい。色んな発見がある。
メコン川沿いを進み、ひとまず今日泊まる宿を探す。一人のお兄ちゃんに声をかけられて、ここの宿に決めた。荷物を置いて身を軽くし、再度、町の散策に出かける。
とりあえず、ラオス通貨に両替えしたかったので、銀行を探す。
道中竹の橋があって、面白そうなので渡ってみた。5000K(50円)
橋を渡ると、となりのトトロで出てきそうな森を抜けて進んでいく。
この道を抜けると、観光客も少なく、ラオスの普通の町のような所にでた。しばらく普通の町の風景を楽しむ。道中、建築途中の鉄筋コンクリートの家があって、竹を支柱にして作っているのが新鮮だった。
僕は、観光地よりもこういった普通のラオスの光景になぜか惹かれるのであった。原始的な作り方だよな~。
そんなこんなで、また来た道を戻って、宿の方へ戻った。堤防沿いで地元民が食べている焼き鳥屋に入った。焼き鳥とホルモン的なヤツとカオニャオ(餅米)を頼んだ。頼んだ後に、衛生的に大丈夫かなと少し不安になったが、食べた。
メコン川の向こう岸の村へ
そして次は、朝、プーシーの丘の上で見たメコン川の向う側の村へ行ってみようと思う。
川沿いで、ボートで渡れそうな所を探していると、一人のオッちゃんに声を掛けられ、『往復100000K(約1000円)で、乗せて行ってあげるけど、どうだ?』的な感じだった。少し高いような気がしたが、少し考えて、行くことに決めた。
午後の一時に出発して、帰りは5時に迎えに来るという約束をして、乗せてもらうことになった。よっしゃ、これで反対側の村へ渡れるぞ。
ボートに乗ってメコン川を渡ると、そこはとてもいかした風景だった。川から村へ上がっていく。
坂を上がってすぐの所で、村人が道端に机を出して、酒を飲み、メシを食べている人たちに遭遇した。第一村人発見。あいさつを交わすと、僕にもお酒を勧められ、肉もご馳走になった。愉快なオッちゃんがいて面白かった。
ラオス語の指さし会話帳も大活躍した。なんだか、僕も楽しくなってきた。求めていた物は、やはりすぐ近くにあった。これこれ。
川の反対側の観光地とは別世界がここには、広がっていた。地元民とコミュニケーションをとり、お酒を飲んだ。少し飲んだだけだったが、かなり度数強かったようで、ちょっと酔っぱらってしまう。
別れを告げ、村を散策することにした。
この村は、すごい素敵な村だった。まさに僕が求めていたような所で、観光客もいないし、スロウな世界が広がっていた。やっと、それらしくなってきた。
道中、小さな船を子供たちが手伝いながら、作っていたりして、写真を撮らせてもらった。
子供たちが手伝って船を作ってる光景に、すごい感動した。
しばらく進み、村も終わりに差し掛かり、引き返す。道中子供達の写真をたくさん撮った。やはり、田舎の子供たちは、とっても元気で、楽しくって最高だ。色々写真を撮りながら戻る。
無邪気に凧揚げを楽しむ子供達や、
別の所で見かけた子供たちは、コマを回して遊んでたり、木登りして遊んでたりしてた。
砲丸投げの鉄球みたいな玉を転がすゲームをして遊ぶ子供達。超、無邪気で元気な子供達だった。
少し酔っぱらった訳のわからないオジちゃん(自分)にも近寄ってきた。写真を撮ってあげると喜んで、今度はカメラを取られて、逆に僕を撮ってくれたりした。しばらく子供たちと戯れたのであった。
トラックの荷台で、遊ぶ子供達。
観光地でも何でもない、ただ普通の村なんだろうけど、なんか古き良き時代というか、僕にはとても心に響いた。思い切って、川を渡ってみて良かったな。やっと、旅らしい旅になってきたぞ。
そんなこんなで、村を後にして、ボートに乗って、反対岸へ戻ろうとするが、まだ、時間が少し早かったので、1時間くらいメコン川をボートでまわってもらうことにした。90000K。
ボートに乗せてもらってる途中で、僕は現地の人にもらったお酒がだんだんとまわってきて気持ち悪くなり、メコン川に吐いてしまったのだった><。
ゲロは吐いたけど、メコン川の上から眺める景色は最高だった。川の向こう側の村は、最高に良かったなと余韻にしたったのであった。向こう岸に行ってみて、よかった。
ゲストハウスに戻り、一度横になり、一眠りする。
どこかで、インターネットでもできる所を探すかと外に出たが、ここのゲストハウスのお兄ちゃんに『一緒にビール飲まない?』と誘われて、少し迷うが、せっかくなので、インターネットよりも現地の人との交流の方が大切かなと思い、一緒に酒を飲むことにした。
酒に弱い僕は、缶コーラを基本に、ちょびちょびとビアラオ(ラオスのビール)を頂いた。自分が撮ったカメラの写真を見せたり、ラオス語の本で、ラオス語を教えてもらったり、色々話をした。まあなんとかなるもんで、1~2時間くらい一緒に飲んだ。
やっと旅らしくなってきたと実感する19日目なのでした。下痢も無事治まり、旅の調子もいい感じに乗ってきました。明日からは、パークセーへ戻る予定だ。飛行機の中から見た赤土の道の村へ自転車を借りて訪れようと計画しているが、果たしてどうなることやら。
さすらいの冒険野郎のタイ・ラオス男一人放浪旅は、まだまだ続く。
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