タイ・ラオス男一人放浪旅【20~21日目】ビエンチャン、パークセー周辺の村を散策。

2024年2月2日

これは、2011年の1月から2月の30日間に及ぶタイ・ラオス放浪の旅の記録である。今回は、その旅の20~21日目のお話。

当時の年齢は29歳。もう10年近く前の話になりますが、スロウなアジアを求めて、ふらっと東南アジアを放浪していました。今回は、ラオス北部のルアンパバーンから、飛行機でビエンチャンへと飛び、その後夜行バスでパークセーへと移動したのであった。

ビエンチャンではバスの待ち時間に近くの村を散策。パークセーでは、自転車を借りて、空から見た赤土の道の先にあった小さな村を目指します。その先では、果たしていったい何が待ち受けているのやら。

普通に観光地を回る旅だけでは、満足できない私がたどった一風変わった旅の記録です。あまり検索需要のない記事になるかもしれませんが、暇つぶしにでも読んでいただけたらこれ幸いです。

20日目。飛行機でルアンパバーンから、ビエンチャンへ。

2011年1月31日(月)。旅20日目。

朝起き、荷物をまとめ宿を出る。

今日は、昼から飛行機でビエンチャンに飛び、そこから夜行バスでパークセーに戻る予定だ。

朝から郵便局に行って余計な荷物を日本に送りたかったが、まだ空いていなかった。なので、ひとまず朝飯食べられる所を探した。

せっかくルアンパバーンなんだから、西欧風のレストランに入ろうかと思った。少し皮肉かもしれないが、ルアンパバーンは完全に観光地化されていて、海外からの旅行客のための食堂が沢山あった。

ベーコンサンドとコーヒー。

ベーコンサンドとコーヒーを頂いた。これはこれで、中々美味しかった。

朝ごはんをすました後は、郵便局にいき、荷物を送った。

初めての国際便での郵送に少し手間どうが、なんとか日本の住所に送ることができた。日本から持ってきていたガイドブックの【地球の歩き方ラオス】の巻末の方に、国際郵便の出し方がのっていて、参考にした。


何かあった時は、ガイドブックを一冊もっておくとやはり心強い。

不必要だと感じた荷物を箱にまとめると、3,3キロになった。これで、バックパックにスペースの余裕ができた。荷物は必要最小限でいいんだな。リュックの重さは7,3キロになっていた。(後で空港で調べた)

次は、腕時計を買いに町を散策する。というのも、昨日川の向こう側の村へ行っている間に、使っていた時計をなくしてしまったのだった。(タイの駅で買った安物の時計)

ルアンパバーンの朝市。

時計屋さんに行くまでに、通りすがった朝市が賑わっていた。小さなリンゴを買って食べた。

そんなこんなで、時計屋さんを一軒見つけ、腕時計を1つ買った。1000B

飛行機の時間まで、まだ時間があったので、のんびりと歩いて空港まで向かうことにした。今日は荷物を送って、バックパックも軽くなっていたし、歩くのもそんな苦ではなかった。

ルアンパバーンの商店。

やっぱり歩くのはいい。なにかに乗っての移動ばっかりでは、やはり面白くない。町を散策し、買い食いしながら歩いていく。

歩くと、乗り物では気づけない発見が多いのも、魅力の一つ。ラオスの普通の町を堪能しながら進みます。

そんなこんなで、11時頃に、空港に到着した。

ルアンパバーンで飛行機に乗る。

前回乗った飛行機は、30分早く出発したが、今回は予定より遅れて出発した。なんか前の便で、トラブルがあって遅れたよう。ルアンパバーンを離れ、ビエンチャンへと飛ぶ。

ラオス空からの景色。

空の上からの景色。やはり、ラオスは舗装もされていない赤土の道が多いようだった。

ビエンチャンにだんだん近づいてきた。ラオスの首都であるビエンチャンとはいえ、まわりの町は普通に田舎のようだった。タイと比べると、ラオスはまだまだ発展途上という感じがした。

ビエンチャンの村を散策。

そうこう考えているとビエンチャンに到着した。午後2時。

夜行バスの出発は夜の8時だったので、それまであと約6時間あった。僕は、じっと待ってるのも退屈なので、まわりの田園地帯を散策しようと考えた。とりあえず、バスターミナルがある所へとタクシーで向かう。

タクシーのオッちゃんは、『時間があるから、バスターミナルに向かわず、ビエンチャンの中心街へいって観光してから、戻ってきたらどう?』と勧められるが、僕はバスターミナルに連れて行ってもらった。63000K約600円。前回もそうだったけど空港から出るタクシーは、少し高めの所が多いみたいだ。

バスターミナルでは、地元民が多く活用しているようだった。

ビエンチャンのバスターミナルで、麺を食べる。

バスターミナルで、ヌードルを1杯食べた。腹の調子はバッチグー。ちゃんと腹も減っていて、いい感じだった。完全回復♪

ラオスで、田植えをする風景。

HPも回復し、まわりの田んぼの風景を見に歩く。すぐ前の通りを歩いていくと、田植えをしてる人達を見かけた。子供と2人で手で田植えをしてた。ラオスでは田植え機は普及していないのかな~?

もう少し進むと、水を張った田んぼの荒耕しをしてる青年にも出会った。

ラオスの田んぼを耕す青年。

見たこともないようなレトロな機械を使っていて、カッコよかった。近くまでいって写真を撮らせてもらった。

さらに、奥へ進むと1軒2軒と家があり、池があって、アヒルがいて、スロウないい感じの所だった。写真をいくつか撮った。

そこらで、引き返して本道に戻り、さらに道の先へ進んでみた。ヤギがいたり、牛がいたりした。そうこうしていると、村へと続く一本の道を発見し行ってみることにした。

村へと続く赤土の道。

田園地帯を抜け、村へと進む。ここの村の子も凧揚げをして遊んでいた。小さな商店でモンキーバナナ(小さいバナナ)を買って、食べながら村を散策した。

ヤギ発見。

村で見かけたヤギさん。スロウなアジア発見。

観光客で溢れかえった観光地より、のんびりしたラオスの田舎の風景を味わいたかったんだな。中心街へ行かずに、単なる田園地帯の小さな村に足をのばして、僕にとってはこっちが正解(笑)

特別変わった出来事はなかったけど、景色が良くとてもいい感じの村だった。

ラオスの水辺からの夕焼け。

村から引き返し、帰りの道中、水辺のほとりで座って休憩して、今日の日記を書く。午後5時40分。

バスターミナルへ戻って、夜行バスを待つ。

ビエンチャン発の夜行バス。

時間が来て、バスに乗り込むと、乗客は意外と少なく安心していると、次のバスターミナルで大量の欧米人の観光客が乗り込んできて、バスは満席となった。ルアンパバーンでもそうだったが、ラオスの観光地には、かなり多くの海外旅行者がきているみたいだった。

ラオスなのに、バスの中は一気に欧米人だらけになり、なんか肩身が狭い思いをしたが、意外とよく眠れたのであった。

21日目。パークセーで、プチ自転車旅。

2月1日(火)。旅の21日目。

朝方、日が明けてきた頃に目が覚めて、窓からラオスの村の景色を見ながら、バスは進む。ラオスの村々では、朝から焚火をしている光景をよく見かけた。ガスが普及してないからだろうか?やはり、昔の風景が残っているような感じがした。

バスはだいたい予定通り、7時頃にパークセーのバスターミナルに着いた。バスターミナルは見覚えのある場所だったので、トゥクトゥクには乗らずに、歩いてゲストハウスがある辺りを目指した。大体の道は把握している。

ラオスで麺を食べる。

途中、朝食に地元の麺屋さんに入った。やっぱりその方が僕は好きだ。安いし、ラオスの物を味わえて、2度美味しい♪

ヌードルを食べながら、今後の計画を考える。今日は、自転車を借りて、パークセーの周辺の村を散策する予定だが、その後の事も少し考える。その後は、飛行機に乗らずに、陸路を使ってタイへ戻るのはどうかなと今、考えている。

飛行機で、欧米人まみれになって移動するのも、なんか面白みにかけるし、陸路でのんびり放浪しながら帰るのも面白いかな。ちなみに、日本へ帰る飛行機の便は、タイのバンコクから立つ予定だ。

川沿いのゲストハウス。
川沿いのゲストハウス、庭からの眺め。

朝食をすまし、川沿いのゲストハウスがよさげだったので、そこを今日の宿とすることにした。部屋に荷物を降ろして、カバンの中身を軽くして、出発。

自転車を借りる。

前回泊まったゲストハウスの隣で自転車レンタルできるところがあったので、そこでチャリを借りる。30000K約300円。

自転車を借りるときは、パスポートを預けることになっている。おそらく借りパクされないような対策なんだろう。タイで自転車借りた時もパスポートを預けていた。

自転車をこいで、新たに出発。まずは銀行へ行って、お金を両替えする。数日の間に、ラオスを発つ予定だったので、1万円をキープとタイバーツの半々にしてもらった。まだこの時点では、はっきりとした発つ日はきめてはいない。

次は、お気に入りのデパートへ行き、少し買い物をした。Tシャツや上着、パンツ、ペンなどを買った。市場の横の飯屋で、ヌードルを食べ、ゲストハウスに戻り買った荷物を置き、さっき買った服装に早速着替えてみた。

自転車で、パークセー周辺の村を散策。

さあ、飛行機の上から見た赤土の道の村をチャリンコで探しにいきます。現地で買った地図もあるので、大体の目星はついている。

パークセーからの小さい橋を越えると、向こう側は観光客も全然いなくて、地元民が使うお店がけっこうあって、いい感じだった。少し走ると、市場を見つけ立ち寄ってみた。名前はわからないけど、赤い果物を1つ買って食べた。ここは、小さな市場だった。

もうしばらく走っていくと、車の通りも徐々に少なくなり、ラオスの田畑や自然の景色を堪能しながら進む。

パークセー周辺を自転車でまわる。

幹線道路から脇にそれる赤土の道。どの道に入ろうかと迷っているうちに、結構走ってきて、パークセーから10㎞の看板も越えていた。あんまり遠くへいっても、大変なので次見つけた脇へそれる道に入ることに決めた。

自転車で赤土の道を進む。

道を折れ、赤土の道をチャリンコで進んでいく。一つの村を見つけるが、特に何もおこることなく、そのまま通り過ぎてしまった。先へ進んでいくと行き止まりになり、バイクに乗っていた現地の人に『戻りなさい』的な感じの事を言われてしまい、引き返すことにした。。。

と、すぐに、チャリがパンクしてしまった!!

あ~、やってしまった~。アクシデント発生><

起きてしまったことは、悔いてもしょうがない。かなり凹みつつも、歩いて自転車を押して、きた道を戻った。

しばらく歩いていると、ある家のオッちゃんが呼び止めてくれた。

『自転車パンクしたの?直してあげるよ。ちょっと見せてごらん。』そんな感じで、声をかけてくれた(涙)

そしたら、オッちゃんは『メシは食ったか?』みたいな感じの事を言って、

『ひとまず、飯食おうか』と誘ってくれた(笑)そして、オッちゃんと一緒にご飯を食べたのだった。

アリのスープを頂く。

アリがたくさん入った鶏肉のスープとカオニャオ(もち米)をご馳走してもらった。

アリの入ったスープは、とても美味かった。スープには鶏の頭も丸ごと入っていて、食べさせてもらった。色々と話をしていると、オッちゃんは学校の先生をしているらしい。娘さん3人と奥さんがいて、みんなよく笑う、とてもいい子達だった。

僕も旅の中で、多少はラオス語を勉強していたので、少しはやり取りできた。

自転車のパンクを修理中。

パンクは、万力みたいなものでチューブを押さえ、火で炙って、ゴムをくっつけて修理してくれた。しかも、穴はなんと、3か所も空いていたそうな。。。ラオスのオッちゃん、日本では見たこともないようなワイルドな方法で、パンクを修理してくれた。

ホント助かった。

真ん中の娘さんは、織物をしていた。

ラオスの織物。

伝統的な感じのラオスの高床式の小屋の一階にスペースがあって、そこで、織物をしていた。パンクをワイルドな方法で直してくれたオッちゃんもカッコ良かったし、この娘さんにもマジ痺れた。カッコイイな。マジ感動。

ラオスの竹籠の中にカモのヒナ。

庭先では、竹かごでカモのヒナをたくさん飼っていた。ほんっと素敵な田舎の空間でした。

ラオスで見かけた子犬たち。

そんなスロウなアジアの世界に大感動したのでした。

やっぱり、空の上で感じた直観は間違っていなかったのかもしれない。裏庭には、子犬や鶏、アヒルたちが放し飼いされ、外には水牛がいたりと、おとぎ話のようなワールドが広がっていました。やっぱり、こういったスロウな生活って心地いいんだろうな~。

最後に家族みんなと一緒に記念撮影して、ここを後にした。午後5時。

自転車のパンクというアクシデントからの、まさかの出来事でした。おかげで、ラオスの田舎の民家にお邪魔して貴重な体験ができました。こうなってくれると、アクシデントも悪くないなと思った。

帰りは、どこにも寄らず一直線に帰った。

メコン川に沈む夕日。

パークセーに帰ってくるとちょうど、夕日がメコン川に沈む所で、夕日の写真を撮った。

今日も1日、精いっぱいやりきったぞ。そして、ラオスのオッちゃんに、感謝。ルアンパバーンの川の向こうの村もよかったが、パークセーから自転車で訪れた赤土の道の村も最高に良かった。

思い切って、いってみて良かったな。パークセーの町にもやり残しなく満足できたので、明日はパークセーを発ち、バスで国境越えをしてタイに。その後は電車で移動して、バンコクの方へ向かおうかと考えている。

この先は、いったいどんな出来事が待っているのやら。

さすらいのお勉強野郎のタイ・ラオス男一人放浪の旅は、まだもう少し続く。

続きは、こちら⇒『タイ・ラオス男一人放浪旅【22~23日目】バス&列車の旅。パークセー⇒ウボン⇒アユタヤ