沖縄本島1周ヒッチハイクの旅⑩~ファミリーのお宅に泊めてもらう~
この旅は今から19年前の2003年、信州大学2年の夏を迎えた頃の話である。当時の歳は、21歳。一人旅。
旅のルートは、フェリーが付いた那覇港から沖縄本島の海岸線を時計回りにぐるっと1周回る計画だ。その際、公共の交通機関は一切使わずに、徒歩とヒッチハイクのみで、おこなうことに決めている。そして、泊まる所は、持参した一人用のテントを使っての野宿を基本とする。
この2つが、この旅の主なルールで、後は何も決めていない行き当たりばったりの旅であり、若かりし頃の馬鹿野郎の冒険旅である。
さあ、どうなることやら。まあ、何とかなるっしょ~(笑)
今回は、そんな沖縄旅の10日目の記録。当時の旅日記をもとにまとめてみました。事実は小説よりも奇なり。暇つぶしにでも、読んでいただけたら幸いです。
2003年7月23日(水)~沖縄の旅10日目~
昨日は佐敷町まで進み、とある公園でテント泊したのであった。
今朝は、5時くらいに起床。この日は綺麗な朝日を拝むことができた。
身支度をし、顔を洗い、身体を少し洗った。公園では、朝早くからオジサンやオバサンが散歩しにきていた。しばらくすると、太極拳の練習(体操?)が6時前くらいから始まった。もう少しすると、今度はラジオ体操をしに子供たちがやってきた。
自分は、海辺のテトラポットの上で、日記を書いていた。日記を書いている間に、ラジオ体操も終わり、子供たちは皆、帰っていった。
ふとテントの方を見ると、昨日仲良くなって花火をした子供のうちの一人がテントの中を覗いている。昨日お互いに、名前を聞きあっていたので、『〇〇〇!!』と名前を呼んでやると、『そっちにいたの?何してたの~?』と少し話をした。
そして、『また8時くらいに来る』と言って、帰っていった。
8時近くになると、友達を一人連れてきてやってきた。空手をやっていて、紫帯なんだとか教えてくれた。少し話した後、『ゲームしてくる』といって別れた。少し離れると、こちらを振り返って『ヒロユキ先輩ありがとう!!』と大きな声で言ってくれた。
俺も『おう、ありがとうバイバイ!!』と答えた♪
その後、公園でハイ・スタンダードを聞きながら、ストレッチをしていたら、さっきのK君がやってきた。今度は、マンゴープリンとスプーンを2つずつ持ってきてくれたのだ^^そして、一緒にマンゴープリンを食べた。
ヒッチハイクをした人たちとやってきたように、お互いのアドレス交換もした。K君は住所覚えてないらしく、家に戻って、書いてきてくれた。そんなこんなで、そろそろ出発の時間となってきた。
いつもそうだけど、別れは寂しいものだ。最後に、公園のゴミ拾いをし、なるべく公園を綺麗にして後にした。
ここでも、本当にいい思い出、そして、いい友達ができた。また、いつか遊びに来たいなと思った。
さあ、今日も行くぞ~。
この日は、そこからひたすら歩いた。10㎞くらい先にある百名ビーチまで、歩きで行こうとこの日は、決めていた。
知念村~斎場御嶽へ立ち寄る~
佐敷町から知念村へと入りしばらく進んだ辺りで、世界文化遺産になっている『斎場御嶽(セーファーウタキ)』という所を見つけ、立ち寄ってみることにした。
ここの岩の隙間は、とてもいい風があり、とても神聖な雰囲気のする所だった。
斎場御嶽では、絵を描いているオバちゃんに会って、色々と斎場御嶽にまつわるお話を教えてもらった。
セーファウタキを満喫した所で、また次を目指す。ここからも引き続き歩いて進んだ。そろそろ食堂に入りたかった。というのも、カメラの充電をしたかったので、食堂を探しながら進むが中々なく、ようやく一軒の食堂を見つけたのだった。
一見やっていなさそうな小さな食堂。そこには、地元の人がお客さんに来てて、席もテーブル2つと小さな食堂だった。『中味』ってのを頼んで食べた。550円。充電が切れていたので、写真はなし。
お店の中で、地元の人に『現地の人より、黒いよ』と言われた(爆)そう、沖縄に来てから毎日炎天下の中、一日中歩いているので、体中日焼けで真っ黒になっていたのだ。
お店でカメラも充電させてもらった。久しぶりに、テレビで『笑っていいとも』を見た。この日もやはりタモさんは、面白かった。
そんなこんなで、ご飯を食べて身体のエネルギーを補給し、カメラの充電も補給させてもらった所で、また先を目指す。
知念村では、こんな村民憲章を見つけた。
花と緑を愛し、歴史を重んじ、勤労を尊び、常に学び、助け合い、温もりのある村を作ります。
なんて、良い村民憲章なんだろうか(感動)素晴らし過ぎる。
知念村を越え、玉城村へ突入。
新原ビーチで、旅人と出会う
ここまでかなり歩いてきたので、足も痛く限界が近づいてきていたが、根性で歩いて進んでいった。もう限界という所で、なんとかビーチにたどり着いた。百名ビーチを目指していたが、着いた所は『新原ビーチ』という所だった。
とりあえず、バックパックを下ろし、海に入ることにした。とにかく歩き疲れていた。海の中で座り、休んだ。そして、少し海岸線を歩き、波打ち際で寝っ転がった。
そして、バックパックを置いた所に戻ると、そこには一人の女の子がいた。リュックを持っていたので、一人旅かも?と思い、話を聞いてみると、どうも大学生で一人旅らしい。
おお、沖縄の旅でやっと一人旅してる人に会ったぞと、少しテンションが上がる。
大学生同士と共通点もあって、色々と話をした。
砂浜の方見ていると、なんか芸能人(ジャニーズ系)が撮影にきているらしく、それを見つけた観光客(ファン)の人たちが少し騒いでいるようだった。
『有名人きてるみたいやね、誰やろう?』彼女もあまり興味がないようで、誰だったのかは結局わからなかった。
そんなこんなで、しばらく話をしていたら、時間はもう4時過ぎくらいで、そろそろ出発しないという感じだった。本当はもっといたかったが、自分の旅のためにも行かなければならない。
お互いいい旅になるようにと、出発した。良い旅を~
ヒッチハイク~家族連れのお母さんに乗せてもらう~
坂を上り切り、さあ、また歩き出した。今日は糸満市辺りまで進みたいなと思っていたのもあったし、疲れも溜まっていたので、ヒッチハイクをする事にした。
ヒッチをやり始めて20~30台目くらいだろうか?ある家族連れのお母さんが止まってくれて、乗せてくれた。奥さんのご自宅まで乗せてもらい、少し休憩させてもらった。
そこの子供と庭で、少し仲良くなった。ここでも、写真を撮ってやると、子供はすごい喜んでくれた。
しばらくすると、自衛隊で働いているお父さんが帰ってきて、挨拶すると、なんと『泊めてあげるよ~』と言ってくれたのだった。俺は、そんな泊めてもらっていいのかな~???と思ったりもしたが、人の親切は有難くいただこうと泊めさしてもらう事に決めた。
シャワーを浴びさせてくれて、洗濯もさしてくれて、お茶も入れてくれて、クーラーの効いた部屋に入れて頂いた(涙)もうすぐ、1歳になる小さなお子さんもいた。
何から何まで、お世話になったのだった。携帯やカメラも充電させてもらったし、色々とお話もさせてもらった。このオジちゃんは、僕が大学辞めて、格闘技の世界を目指す事にも応援してくれた。
晩御飯には、刺身(トビウオとか)を頂き、酢味噌で食べた。あと、お好み焼きを頂き、その後オジちゃんとはK1ワールドマックスのビデオを一緒に観戦したのだった。確か見たのは、魔裟斗選手が優勝した時のヤツだったと思う。
初めて会ったのにも関わらず、こんなに良くしてくれ、本当に嬉しかった。出会えて良かったなと思った。
この日は、久~しぶりに柔らかな布団の上で、気持ちよく眠る事ができたのであった。
10日目のまとめ
本日の移動・・・佐敷町⇒具志頭村(現在は八重瀬町にあたる)
移動距離・・・20㎞くらい
ヒッチハイク・・・1台
沖縄の旅10日目のこの日は、小学生と仲良くなった公園からスタートした。この公園での出来事もこの旅の中で、印象深い出来事だった。
そして、ひたすら歩いて、たどり着いたビーチでは、この旅初となる一人旅人との出会いが待っていた。
その後、ヒッチハイクで乗せて頂いたファミリーのお宅に泊めていただくというアンビリーバブルが起こった。
ここのお父さん、お母さんには本当に親切にしていただき、何から何までお世話になった。お風呂、洗濯、充電、ご飯、クーラー、柔らかい布団と用意して頂いた。また、一緒にK1ワールドMAXのビデオを見たのも、いい思い出だ。
そんなこんなで、柔らかい布団クーラーと贅沢な環境で一晩寝たら、疲れも一気に完全回復した。布団の上で寝れるって事がこんなにも有難い事なんだと、初めて実感したのであった。
明日は、ひたすら歩くぞ~。
今回の旅は、公共交通機関を一切使わずに、歩きとヒッチハイクのみで、沖縄本島を海岸線に時計回りに1周するというもの。宿泊も公共の施設を使わずに、基本テント泊しながら、周る予定だ。
特別どこを観光するという訳でもなく、朝起きたら、ただひたすら海岸線沿いに歩きとヒッチハイクで進めるだけ進んで、暗くなったら適当な所を見つけて、テント泊するという超シンプルな行き当たりばったりの旅。
沖縄本島1周ヒッチハイクの旅は、毎日が、アドベンチャーである。明日には、一体何が待っているのやら?
沖縄本島1周、さすらいの馬鹿野郎の冒険旅は、あともう少し続く。。。
続きは、こちら⇒『沖縄本島1周ヒッチハイクの旅⑪~ひたすら歩き、感動のゴールへ~』
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